僕たちの失敗 -カウントダウン10-


 この記事は、みやくに通信№ 65(1996年7月3日)に掲載されたものを、一部加筆修正してアップしたものです。


 

 蝶の趣味のことで周りの人からよく、「打ち込めるものがあっていいね」とか、「好きなことがあってうらやましいよ」とか言われる。それが仮にお世辞であったり、あるいは時として皮肉であったとしても、そんなこととは関係なく、我々蝶屋の多くは自分の趣味に誇りを持っていると思う。そして、蝶の話になればいつも目の色が違うし、蝶のためなら桁違いの行動力を発揮することさえある。こと蝶となれば、そこら辺のおじさん連中とは、ちょっと訳が違うのだ。

 ところが、蝶は蝶でも海外の蝶の話になると、とたんに蝶屋がただのそこら辺のおじさんになることがある。

「海外ですか。うらやましいですね」とか、「行きたいのはやまやまですが、なかなかよう行きませんわ」とか言われてしまう。

 いつものあの行動力はどこに置き忘れてきたのだろう。これだけ気軽に海外へ行ける時代になって、なお多くの蝶屋を海外から遠ざけているものはいったい何なのだろう。

 

 私が初めて海外へ行ったのは84年の年末のこと。BUGの元会長、N氏に誘われてタイのサムイ島へ行ったのが、そもそもの道を誤るきっかけだった。以来11年余りの間にタイ4回、マレーシア6回、インドネシア(バリ島)1回の計11回を数えてしまった。

 いざ海外というと何かと不安ばかりが先に立って、私とて最初のころは相当心配だった。どうしたって、ギフチョウを採りに行くような気分で行くわけにはいかないのだ。しかし、これだけ何度も行っていれば当然のこと、ちょっとした失敗やトラブルの類は数限りなく経験しており、その積み重ねが「行けばなんとかなる」という実感となって体にしみついてきたように思う。(要するに図々しくなってきた。)

 そこで、これまでに私が経験した選りすぐりの失敗談やトラブルのいくつかをここに披露し、「行けばなんとかなる」という漠然としたイメージを、少しでも具体的に伝えられたらと思う。(「何ともならない事態を未だ経験していないだけだ」というご指摘については、この際無視することにする。)

 海外でのトラブルというと、とかく大袈裟なことを想像しがちだが、実のところ拍子抜けするような話ばかりで、トラブルといってもせいぜいこんな他愛のないことだと、笑っていただければ幸いである。

 なお、事のついでと言っては失礼に当たるが、私と一緒に行かれた方の失敗談についても、勝手ながら披露させていただいた。多分、本人も忘れているであろう古い話を、他人はしつこく覚えているものなのだ。一緒に行った相手が悪かったとあきらめてもらうほかない。なお、本人の名誉のため、これらは多少の尾ひれはついていようとも、全てノンフィクションであることを付け加えておく。