■ 第3位 足が棒になる× 目が棒になる○ 

 最近の名古屋空港は便利になった。国際線の便がめっきり増えたのだ。しかし、少し前までは成田や伊丹を利用する機会が多く、この時も成田発でクアラルンプールへ向かおうとしていた。

 上野からスカイライナーに乗ってしばらくして、さっきまでハイだった私が突然、救いようもないほど暗くなった。大変な忘れ物に気付いたのだ。何と、新幹線の中に「商売道具」の竿を忘れてきた。今だからこそ笑えるが、実際この時は自分でも可愛そうなくらい落ち込んで、一瞬にして自己嫌悪の塊と化した。

「いったい自分は何をしにマレーシアへ行くんだろう…」

 

 この時は、妻と二人で行く初めての東南アジアだった。私にとって初めてのマレーシアでもあった。初日はクアラルンプール市内観光。初めてのクアラルンプールの街は想像よりもはるかに近代的で、建ち並ぶ摩天楼と濃い緑、それに荘厳なモスクとヨーロッパ調の街並みとが不思議に調和した美しい街だった。それは混沌の巨大都市バンコックとはまるで違う、私のアジア観を一変させた街でもあった。何もかもが新鮮で興奮に満ち満ちていた。

 それでも私は、かたくなに欝状態にあった。

「幸いワクとネットはあるんだから、竿なんかなくても何とかなるさ。キャメロン・ハイランドには掃いて捨てるほど蝶がいるんだ」

そう自分に言い聞かせてはみても気分は滅入るばかり。一日中、街なかをぶらつきながら、竿の代わりになる手ごろな「棒」はないかと、いつの間にか「長い物」にばかり目がいくようになっていた。工事現場を通りかかれば何かころ合いの棒っきれはないか、民家の庭先を見ればほうきの柄はどうか、あげくの果てはガードレールや道路標識の支柱にまで目を奪われるようになって、いよいよ重症と思われた。

 完全に目が棒になっていた。

 

 そんな午後、ショッピング・コンプレックスの土産物屋の店先を、遠くからぼんやり眺めていた私の目は、突然ある一点に釘付けになった。吸い寄せられるように近付いた私の手には、1本の棒がしっかりと握られていた。その棒は、サトウキビの木を乾燥させたものらしく、どうやらステッキと思われた。長さがほんの少し物足らないことを除けば、太さといい、重さといい、丈夫さといい、全く私のためにそこに用意されているような気がした。志賀のシバキ棒なんかよりも、ずっとずっとお洒落な逸品だった。思わず口元が緩んだ。目には涙が浮かんでいた(そこまで言うとウソになる)。

 こうして翌日、私は背中に大きなザック、手にはサトウキビのステッキといういで立ちで、嬉々としてキャメロン・ハイランドへ向かうのであった。