北信のギフはなぜボロをつかみやすいか?(続編)

-今度こそ、永遠の謎に迫る-


 「北信のギフはなぜ…」をアップしようと思って久しぶりに昔の自分の文章を読み返していて、思わず赤面してしまった。― よくも自信満々こんなデタラメ書いたものだ。

 だから最初はアップするのをやめようかと思った。しかし考えてみれば、とっくの昔にこのデタラメがみやくに通信に掲載され、多くの読者に読まれているのだ。恥ずかしく思うのなら、むしろここで続編を書いて未熟だった部分を訂正すべきではないか。

 そんな訳で、ここに続編を書き下ろす。何がデタラメって、これをデタラメと呼ばずして何と呼ぶ!


《デタラメ その1》

 鮮度にバラつきがでる最大の原因は「屏風谷現象」?


 本編の《通説その5》において、次のような妙ちくりんな仮説を展開している。

 野々海池へ至る途中の山腹の産地は斜面全体としては大きな南向き斜面だが、よく見ると大小様々な谷が斜面を縦に刻んでいて、谷を挟んで南東向き斜面と南西向き斜面が交互に屏風のように連なっている。南東向き斜面は午前の柔らかな日差しを受け、南西向き斜面は午後の強い日差しを浴び、そのため雪解けの状態の大きく異なる斜面が交互に現れる。これを「屏風谷現象」と名付けて、これこそが鮮度にバラつきが出る最大の原因と推論した。

 

 馬鹿も休み休み言えってんだ、この大馬鹿者め!(思わず感情的になっちまったよ。) そもそも、南西向き斜面でギフが発生している訳がない。一般にギフチョウは北向き斜面で発生している場合が圧倒的に多く、次いで東向き斜面が多い。これは、南向き斜面は夏場の高温と乾燥化により、食草の生育に適さないためと考えられる。当地へは当時何度も足を運んだにもかかわらず、いつも採集にかまけて一度も食草調査をしていないが、この目で確かめるまでもなく、一般論として南西向き斜面に食草が自生しているとは到底考えらない。当地では当然に南東向きあるいは東向き斜面があればそこでギフが発生しているものと容易に推測される。したがって、いかに「季節の違う2種類の斜面が交互に現れる」からといって、その一方でしかギフは発生していないのだから、それが鮮度にバラつきが出る原因たりえない。

 こんな初歩的な理解もないまま「永遠の謎に迫る」とは、我ながら思い上りも甚だしい。霊験あらたかなる我れらが「みやくに通信」を、こんなお粗末な説法で汚してしまったこと、今さらながら恥じ入るばかりである。

 


《デタラメ その2》


 次に、この図がデタラメである。「麓では未発生なのに、山の上では既に発生していることがある」ことの説明として、この図を用いた。曰く、冬場に急斜面に大量に積もった雪は重みで徐々にずり下がって麓にたまり、春になると麓にはまだ残雪があるのに山の上では残雪が消えてギフが発生している、という逆転現象が起こるというのだ。

 何だかもっともらしい。しかし、よく見ると説明と図に矛盾がある。雪の重みで徐々にずり下がると言うのなら、上の図のように山頂付近の傾斜が緩やかになっている地形では、山頂付近では雪はずり下がらずに残るのではないか。つまり、正しくは次のように描くべきであった。

 

 そしてこれぞまさしく、本編でボロをつかまされる例として登場した関田峠や野々海池、さらには私自身が辛酸を舐めた野沢温泉スキー場の地形そのものである。このような地形では、山腹の斜面だけ先に雪が消えて真っ先にギフの発生が始まる。しかし、山腹は斜面が急なためギフのたまる場所がなく、適当なキャッチングポイントがない。したがって、この時期に訪れても大した成果は上がらない。やがて少し遅れて山頂付近の雪が解けると、山腹で発生して既に飛び古してボロになったギフたちが上がって来てピークや尾根にたまる。これを採った採集者が地団駄を踏んで悔しがる。

 

 これが「永遠の謎」の答えだ。たったこれだけのことだ。たったこれだけって、「永遠の謎」の解明がこんな簡単でいいのか。こんな幕切れで本当にいいのか。

 もちろん実際のフィールドではこんなに単純ではないが、理屈としてはこんな単純なことだと思う。しかし逆に、こんな簡単なことがなぜ分からなかったのか。私自身、本編の最後のまとめで、北信のギフは「飛騨ギフのような高層湿原(平坦地)よりも、むしろ山腹や傾斜地の発生地が多い」と書いている。そこまで認識していながら、どうして正しい結論にたどり着けなかったのか。それにはもうひとつ、どこかで聞いたような次の通説が、物事の正しい理解を妨げている気がしてならない。

 


《通説その7》

 雪国では残雪の上をギフが飛ぶ。


 何とも美しい光景が目に浮かぶようだ。根雪が解けて黒い地肌がむき出しになった斜面に山野草がいち早く萌えだし、雪解けの清冽なせせらぎのわきで眩しい陽光を浴びてカタクリやスミレが咲き誇る。まだ所々に残雪があり、その上を可憐に舞うギフチョウの姿…を思い浮かべようとするが、どうしても思い浮かばない。そうなのだ。実際にはギフチョウは残雪の上を飛ばないのだ。

 よく観察していると、地面を舐めるように飛翔しているギフチョウは、残雪の上に差しかかると驚いたようにきびすを返す。あるいは勢い余って残雪の上に出てしまった個体は、慌てふためいたように飛び回ってすぐに残雪の上から脱出する。そう、ギフは地面の上を選んで飛んでいるのであって、残雪の上は飛びたくないので避けているのだ。地面すれすれを飛ぶ行動は、メスを探しているか、吸蜜植物を探しているか、もしくは産卵する食草を探していると考えられることから、残雪の上を飛びたくないのはむしろ当然である。

 したがって、「雪国では残雪の上をギフが飛ぶ」というのは、そうあってほしいと無意識のうちに思う人間の思い込みであり、迷信であり、あるいはエゴである。そのことを理解したうえで、もう一度この図の《春》をご覧いただきたい。

 春、山腹で羽化したギフは斜面を上へ上へと上っていくが、山頂に至る手前で残雪に阻まれてきびすを返す。次の日も、また次の日も上へ行こうとして同じことを繰り返すが、残雪に邪魔されて山頂へ行けない。それでも徐々に残雪が解けて1週間後にやっと山頂にたどり着くと、同じようにして次から次へと他のギフがやって来て、山頂は老いらくの恋を求めるギフたちであふれかえる。そこへ採集者がやって来て次々とネットするが、みんなボロのためリリースし、そして吐き捨てるように言った。

「先週来た時には残雪だらけで未発生だったのに、たった1週間で、雪が解けたと思った途端にもうボロばっかりだ」

そして、きっとギフチョウはつぶやいたろう。

「ボロで悪かったな。先週あんたがここへ来た時には、オレたちゃもっと下にいたんだよ。『たった1週間』って、1週間も飛んでりゃボロにもなるわさ。長年やってて、まだそんなことも分かんないかね」

 

 分かってしまえば、いつの日もコロンブスの卵である。 

(完)