北信のギフはなぜボロをつかみやすいか?

-永遠の謎に迫る-


 この記事は、みやくに通信№ 142(2002年12月1日)に掲載されたものを、一部加筆修正してアップしたものです。

  内容的にお粗末な部分もありますが、これについては続編でフォローしたつもりですので、併せてご覧いただけると幸いです。


 風薫る5月。新緑の5月。年中で一番気持ちのいいこの季節に、北信のギフを求めて旅する。

 最近の採集は、高速を飛ばして長距離を日帰り、ポイントマップ片手に車横付け、1日に3か所も4か所も回って数を競う。そんな、日常の慌ただしさをそのまま持ち込んだような採集に辟易している諸氏に、北信のギフをお薦めする。

 この季節の北信地方には「旅する」という言葉が相応しい。あるいは、そんなゆったりとした気分にさせてくれる。千曲川にかかる赤い鉄橋と河川敷を埋め尽くす白い林檎の花。限りなく続く国道脇の菜の花の、目に染みるような黄色の帯。輝くブナの新緑…。

 「北信のギフ」という言葉には、なぜか魅惑的な響きがある。「飛騨ギフ」というのは、どうも語呂が悪い。

 北信のギフはグレードが高い。それが実際行ってみると、適度にイージーに見つかる。飛騨ギフほど採集者もいない。だからのんびり探すにはもってこいだ。ここ何年か「富士川のギフ」で打ちひしがれた身には、特にそう感じられるのかもしれない。

 

 ところが、こんなにも素晴しい北信のギフなのに、全てを台無しにする悲しい事実がある。―― ボロ。特に関田峠はボロをつかまされることで有名だ。採っても採ってもみんなボロだという。野々海池もボロが多いらしい。それならもっと早く行けばいい。勿論、そんな単純な問題ではない。

 私は野沢温泉スキー場でやられた。残雪だらけで、まだ優に1週間以上早いと思って8日後に出直したら、もうボロばかりなのだ。

 なぜだ! なぜこうなるのだろう。これでは全て興ざめ、全部ぶち壊しである。この忌々しくも腹立たしい摩訶不思議な怪奇現象の謎を探り、原因を突き止めたい。そのための一助になればと、私の乏しい経験の中から思うところを書き留めた次第である。


 雪国のギフに関して、よく聞く通説めいたものが幾つかある。

(1) 積雪量により発生時期が大きく左右される。

(2) 麓では未発生なのに、山の上では既に発生していることがある。

(3) 雪の解けた場所からダラダラ発生する。

(4) 雪の解けた場所では一気に出る。

(5) 標高の高い場所では下から上がってくる個体と混ざるので、鮮度にバラツキが出る。

(6) 5月のギフはボロになりやすい。

当たり前と思われるものから意外なものまで、一つ一つを検証して整理することで理解が深まる。

 


《通説その1》

 積雪量により発生時期が大きく左右される。 


 当たり前すぎて、何を今さらである。しかし、現地の積雪量を事前に知り、それによって発生時期を予想することは、実はかなり難しい。天気予報や気温ならば、今やインターネットのピンポイント予報で全国津々浦々まで予報や現況を知ることができるが、積雪量の情報となると一般的でない。新聞の「スキー場だより」は肝心の春になると載らないし、だいいちこれとて、ほとんどのスキー場が降雪機を設置している今では目安にさえなりにくい。

 次に、春先の雪解けの速さは、気温や日照もさることながら実は雨の量にも大きく左右される。ご記憶の方も多かろうが、2001年の春はかなりの高温だったにもかかわらず、日本海側では記録的な積雪のために発生は平年並みかむしろ遅めだった。冬場の積雪が多かったのも勿論だが、春先に好天続きで雨がほとんど降らなかったために雪解けが遅れたと言われている。天気がいいと発生が遅れる。雪国のパラドックスである。こうなるともうあれこれ考えるより、定宿のオヤジと懇意になって電話で尋ねる、といった方法が現実的かもしれない。

 


《通説その2》

 麓では未発生なのに、山の上では既に発生していることがある。


 これも雪国のパラドックスである。初めて聞いた時にはどこかうさん臭さを感じたものだが、実際に新潟や北信地方などの豪雪地帯、とりわけ傾斜のきついポイントへ行ってみると、うさん臭いどころかむしろ当然のことだと分かった。原因はいとも簡単である。(図1)のように

(1) 冬場に急斜面に大量に降り積もった雪は、重みで徐々にずり下がり麓にたまる。

(2) この地方では山裾に雪崩止めの杉が植林されていることが多く、ここに大量にせき止められた雪は、杉が日当たりを悪くしていることも手伝って余計に解けにくい。

 さらに都合の悪いことに、林道というヤツは特別に除雪でもしない限りいつまで経っても雪で通行止めになっている。(図2)のように、山の上へ登っていく林道は山腹を削って造成しているので、もともと道路部分のほうが積雪が深い。従って、周囲の雪が解けてギフが発生するころになっても、林道にだけいつまでも雪が残っており、やっと開通していざ出陣したころにはとっくの昔にボロになっていたりする。


《通説その3》

 雪の解けた場所からダラダラ発生する。


 それがどうしたと言われそうだが、このことのもつ意味は意外に重要である。

 現地に着くと辺り一面の残雪で、未発生ではないかと不安になっているところへ朝一番でネットした個体がボロだった。雪国ではそんな経験をした人は多いと思う。

 平坦地や緩やかな斜面では、まだら状あるいはパッチ状に雪が解けていることが多い。いかに平坦地といっても当然地表には凸凹があるし、ギフの発生地は特に地形が複雑に入り組んでいる場所が多いから、雪の付き具合や日当たりなどによって冬と春が隣り合わせになっていることがある。地表面の7割方が残雪に被われていても、他の3割では既にカタクリが咲き誇っていたりする。とかく人間は付近一帯の様子から発生状況を総合的に判断しようとするが、ギフの蛹は自分の置かれた場所の状態だけで季節を判断する。100m四方の季節など知る由もないのだ。

 


《通説その4》

 雪の解けた場所では一気に出る。


 《通説その3》と矛盾するようだが、そうではない。雪解けが均一でないため、マクロに見ればダラダラ発生しているように見えるが、ミクロに見れば雪が解けたその場所ではすぐに羽化が始まる、ということ。

 ギフチョウは遺存種であり、地域ごとに形態だけでなく生態も分化が進んでいると言われる。同じ雪国でも飛騨ギフの場合、雪解けから発生までに多少の間があるのに対し、北信のギフはすぐに羽化するように思う。このことは両産地のギフを同じ条件下で同時に飼育すれば容易に比較・検証できるはずである。こういう研究をしておられる方は多いようなので、是非ご教示願いたい。

 予想としては、北信のギフは新潟の平野部のギフの流れをくみ、相当に羽化が早いのではないか。もしそうだとすれば、そのことが《通説その1》「積雪量により発生時期が大きく左右される」現象を一層助長していると考えられる。

 


《通説その5》

 標高の高い場所では下から上がってくる個体と混ざるので、鮮度にバラツキがでる。


 関田峠や野々海池について、こういう説明がされているのを何度か目にしたが、ズバリ疑問に思う。そもそも下から上がってくる産地というのは他にも沢山あるわけで、なぜこれらの産地が特にボロが多いのか説明になっていない。とはいえ実は私自身、関田峠、野々海池とも未だ採集経験がないので偉そうなことは言えないが、野々海池へ至る途中の山腹の産地で採集した経験から、別の原因を疑っている。

 野々海池下の山腹の産地は、マクロ的に見れば大きな「南向きの斜面」であるが、南向きと言ってもそれは斜面全体が総体として南を向いていることを意味するのであって、ミクロで見れば一つ一つの斜面は決して南を向いていない(図3)。斜面は大小様々な谷が屏風のように連なって形成されており、谷を挟んで左の斜面は南東向きであり、右の斜面は南西向きとなる。南東向き斜面は午前中の柔らかな日差しを受け、南西向き斜面は午後の強い日差しを浴びる。当然に南西向きのほうが雪解けが速く、こうして季節の違う2種類の斜面が交互に現れる。ここでは仮にこれを「屏風谷現象」と呼ぶことにする(誰かもっといい名前を付けてくれー)。

 このことは現地でその目で確かめれば、かなり衝撃的である。山腹を縫うように走る林道は、急なカーブを曲がる度に、その前と後ろで劇的に季節が違うのだ。そして中間がない。この「屏風谷現象」こそが、鮮度にバラツキがでる最大の原因ではないかと私は考えている。

 


《通説その6》

 5月のギフはボロになりやすい。


 その昔これを初めて聞いた時は眉唾と思ったが、今となってはもはや常識である。

 5月ともなると春先とは打って変わって晴天の日が多く、しかも晴れれば高標高地でもかなり気温が上昇する。さらに春先よりは昼間の時間が長く、1日当たりの活動時間が相当に長くなるなど、短期間でボロになる条件が揃っている。実際、午後の西日を浴びながら杉の梢上を活発に飛ぶといった光景は、春先よりも5月に多く見かける。強い紫外線が退色を促進するということもありそうだが、これは考えすぎのような気もする。


 最後に、北信のギフやその発生地の特徴について確認しておく。

(1)山地のギフであること。ただし、私の知る限りでは、飛騨ギフのような高層湿原(平坦地)よりも、むしろ山腹や傾斜地の発生地が多いこと。

(2)多くは5月中に発生するが、本来的には雪解け後直ちに羽化する発生の早い系統のギフと思われること。

(3)一般に、北信は飛騨よりも一層雪深いこと。

 これらを先に述べてきたことと照らし合わせると、少しばかり答えが見えてきたような気もするし、相変わらずすっきりしないような気もする。

 ブナの新緑輝く北信の尾根で、ビカビカのギフをしこたま採って「ざまあ見ろ!」と高笑いする日を夢見つつ…。読者諸氏の幸運を祈る。

(2002年12月1日「みやくに通信」№142より)