天空の楽園 -大仙丈沢にベニヒカゲを訪ねて-


 この記事は、BUG №74(2011年3月13日)に掲載されたものを、一部加筆修正してアップしたものです。(タイトルを変更しています。)


 ベニヒカゲを訪ねて各地を歩いていると(とか言うほどやっていないけれど)、「高山蝶」と称されるベニヒカゲにあってさえ、ギフチョウと同じく随分人為的な環境下で発生している個体群が多いように感じる。スキー場、牧場、キャンプ場、植林地(伐採地)、林道の法面、果ては別荘地や砂防ダム上部に堆積した土砂に形成された草地…。そしてギフチョウと同じく、人為的な環境変化に伴う一時的な大発生と思われる事例にしばしば出会う。しかし、言うまでもなく、その発生地は極めて不安定な環境であって、近い将来これら個体群の多くは環境の消滅とともに姿を消していくのだろう。

 私がこんな人為的な環境に発生するベニヒカゲにたびたび出会っているのは、本格的な登山を避けて、車横付けポイントや林道を少し歩くだけの軟弱ポイントを多く訪ね歩いていることに原因があるのかもしれない。こんな人為的環境のベニヒカゲばかりを観ていると、彼らの本当の故郷を訪ねてみたくなる。でも本格的な登山をする根性はない。という私のような軟弱蝶屋にお勧めの、本格的だが軟弱なポイントが、ここ南アルプス大仙丈沢である。

 

 軟弱ポイントとはいえそこは南アルプスのこと、アプローチは長い。前夜は山梨県側登山口にあたる芦安温泉に宿泊する。そして早朝510分、市営芦安駐車場発の登山バスに乗り込む。満席のバスの乗客はすべて登山客かと思いきや、意外にも渓流釣りの姿がパラパラと目に付く。バスは間もなく夜叉神峠を越え、夜叉神トンネルを抜けると、そこはマイカー規制のしかれた南アルプスの大自然。さっきまでいた外界とは隔絶された、いわば別世界であった。こうして南アルプスの懐に足を踏み入れるのは、私自身実はこれが初めてのことである。

 広河原で北沢峠行きのバスに乗り換え、野呂川出合(北沢橋)で7時過ぎにバスを降りる。ここから目的地の大仙丈沢へは、眼下に野呂川の清流を見下ろしながら林道を歩いて1時間足らず。標高2,000m近い山岳地帯とはいえ、道はしっかりしていてほとんどアップダウンもなく、天気も良くて全くのハイキング気分だ。8時前には目的の大仙丈沢の出合に着いた。とびっきりの青空をバックに、女性的と形容される大仙丈岳の美しい姿に、普段あまり風景写真など撮らない私も思わずカメラを向ける。

大仙丈沢の出会いから臨む大仙丈岳の艶姿
大仙丈沢の出会いから臨む大仙丈岳の艶姿

 ここから堰堤を越えると、ベニヒカゲの楽園はもうすぐである。斜面の草付にはおびただしい数のベニヒカゲがそこかしこで戯れている。この時は816日で、♂♀の比率は♂:♀=64ほど。ちょうど最盛期らしく痛んだ個体も少し混じった。しばらくベニヒカゲの写真を撮っていたが、みんな同じような絵しか撮れず面白くない。吸蜜中の個体の背景に大仙丈岳を入れてみようと思い立ち、這いつくばってカメラを向けるが簡単そうで意外と難しい。あまり無理をすると足元の植物を傷めてしまう。

吸蜜中のベニヒカげの写真
吸蜜中のベニヒカゲ
シャッターを切った瞬間、吸蜜していたベニヒカゲが消えた!
シャッターを切った瞬間、吸蜜していたベニヒカゲが消えた!

 ベニヒカゲとのんびり戯れているところへ、いきなりミヤマシロチョウがやってきて驚かされる。ミヤマシロの時期としてはかなり遅い気もするが、意外に遅くまで生き残るのだろうか。

肩にキベリ、指先にシータテハを止まらせている筆者の写真
肩にキベリ、指先にシータテハ!

 今度は私のズボンの汗にシータテハがやってきた。よほど私の汗が美味しいのか、夢中になっていて写真を撮っても逃げない。そっと手を伸ばすと指先に乗ってきた。そこへ今度は、耳元でカサカサと大きな音を立てて何かが私の肩に止まった。キベリタテハだ。指先にシータテハ。肩にキベリ。周囲には無数のベニヒカゲが群れ飛び、しばしの楽園を満喫して昼前には大仙丈沢をあとにした。

 最近は、いったい何の必要があるのか山奥まで超立派な道路が建設され、「林道」という名のハイウエイのような道路が山肌を惜しげもなく削り取っているのを目の当たりにしたりする。その点、南アルプスは軟弱な地盤が幸いしたのか、首都圏から近いにもかかわらず乱開発から逃れ、マイカー規制もしかれて自然が本来の姿をとどめているように思う。中学生のころ、初めて訪れた信州の高原で見たあの自然が、あの山々が、まだそこにはあるようなそんな気がした。

[記録]

2009816(快晴

同行者:雅恵

調査地:山梨県南アルプス市(旧芦安村)北沢橋から大仙丈沢

(大仙丈沢)

ベニヒカゲ 多数、ミヤマシロチョウ1ex. キベリタテハ2ex. シータテハ1ex. フタスジチョウ1ex. サンショウウオの一種1ex. 以上、観察

(北沢橋から大仙丈沢間)

ベニヒカゲ 数頭、ツマジロウラジャノメ 多数、エルタテハ 数頭、コムラサキ 多数、テングチョウ1ex.  スジボソヤマキ 数頭、アサギマダラ 多数 以上、観察

 

(2011年3月13日「BUG」№74より)